LIVE STRONG
2005年11月26日 日常人って、簡単に死を覚悟できるものなのかな?
最近報道されている、マンションやホテルの耐震構造に関する設計書偽造問題の渦中にいた、設計事務所の所長が遺体で発見されたらしい。
そんなニュースを見ていて、ふと思った。
死んだ人に対して、何でそんな事をやったかなんて考えても無駄な事だし、俺が書きたいのはそんな事じゃないので、ここではその議論は避けたい。
俺が書きたいのは、なぜそんなに簡単に、死という選択を決断できるのかという事。
最近まで身近にいた人に、生きる事にあまり希望を懐いていない人がいた。
その人は、自ら死を選ぶつもりはないみたいだったけど、積極的な生への執着もなかった。
当時は仮にも自分の大切な人だったから、俺は元気付けるような事も言ってあげたけど・・・
誰だって、一度くらいは死を考える事はあると思う。
死は、生の先に必ず待っているものだから。
誰にでも訪れる、この世の中で唯一、全ての人に平等に与えられたものなのかもしれない。
だけど、それを自ら選択するのは、人に与えられた権利ではないと思う。
生から逃げるための死。
それは、生の延長線上にある死とはまったく別のもの。
少なくとも、今自分の身近にいる人には、そんな哀しい選択はしてほしくない。
強く生きてほしい。
最近報道されている、マンションやホテルの耐震構造に関する設計書偽造問題の渦中にいた、設計事務所の所長が遺体で発見されたらしい。
そんなニュースを見ていて、ふと思った。
死んだ人に対して、何でそんな事をやったかなんて考えても無駄な事だし、俺が書きたいのはそんな事じゃないので、ここではその議論は避けたい。
俺が書きたいのは、なぜそんなに簡単に、死という選択を決断できるのかという事。
最近まで身近にいた人に、生きる事にあまり希望を懐いていない人がいた。
その人は、自ら死を選ぶつもりはないみたいだったけど、積極的な生への執着もなかった。
当時は仮にも自分の大切な人だったから、俺は元気付けるような事も言ってあげたけど・・・
誰だって、一度くらいは死を考える事はあると思う。
死は、生の先に必ず待っているものだから。
誰にでも訪れる、この世の中で唯一、全ての人に平等に与えられたものなのかもしれない。
だけど、それを自ら選択するのは、人に与えられた権利ではないと思う。
生から逃げるための死。
それは、生の延長線上にある死とはまったく別のもの。
少なくとも、今自分の身近にいる人には、そんな哀しい選択はしてほしくない。
強く生きてほしい。
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